
今夜は丸山千枚田で虫送り行事があったので夕方車を走らせ参加してきました。棚田の中にある丸山神社に、全国から集まったオーナーと、地元の小学生が集まり、太鼓と鐘の音を響かせながら「虫おくり殿のおん通りよい〜」を掛け声をかけながら、行列を組みます。
夕暮れのオレンジが紺色に変わりかけた空のもと、行列が進むごとに1340枚の棚田1つ1つに灯された小さな松明の灯りが眼下に・・・
きれぃぃぃ。
と思わず声をあげてしまいましたね〜みんな。夕暮れの丸山千枚田はカエルの大合唱。そこに響く太鼓と鐘と掛け声。小学生たちも元気に声をあげていました。
私はこれまでの
畔剃りや
畔塗りで出会った県外のオーナーさんたちと再会できたり、当地の恩人・知人・友人と出会ったり、丸山千枚田保存会の奥会長や喜多副会長に「草刈りいけなくてごめんなさい(汗」したり、「じゃぁコスモスの種まきにおいでよ」と素敵企画のお誘いを受けたり、
紀和町ふるさと公社自慢の東紀州地鶏の焼き鳥を食べたりしながら、この景色を堪能しました。
虫送りの前に、夢輝のあ(元宝塚)ミニコンサートもあったみたいで私は間に合わなかったのですが、最後にも「みあげてこらん夜の星を」を歌ってくれ、みんなで大合唱になりました。
これだけの松明を設置するの、大変な作業だなぁ。
丸山千枚田に人が集うこと。それを嬉しそうに眺める保存会のかたや、関係者のかた。
この集いが、こういうイベントが、少しでも
「この景観を守ること=丸山千枚田を耕す=自然の恵みに暮らすこと」につながっていく、それを願ってやみません。

虫送りの灯りと、今にも咲かんとするハスの花。

【丸山千枚田「虫おくり」行事について】
(
くまどこより)
慶長6年(1601)には2240枚あったといわれている丸山千枚田は、平成5年当時530枚程度にまで減っておりましたが、この貴重な資源を保護し後世に伝えていくことが極めて重要と考え、町では“日本の農耕文化”として位置づけ、平成7年より復元を開始。現在1340枚を保全しています。
その農耕文化の一つとして、「虫おくり」があり、昭和28年まで実際に丸山地区で行われていた行事で、 現在の稲作では害虫駆除にあたるもの。その当時薬品等もなく、なすすべがなかったことから、地域の子供たちが集まり、お寺からお札をもらって、松明と太鼓、鐘などを手に千枚田の中を練り歩き、火と音で害虫を追払うものでした。
そこには農薬に頼る現代の人たちには理解して貰えない、素朴な農民の祈りがこめられていました。ひと粒のお米でも多く収穫したいという農家の願いは1614年の北山一揆に、この丸山地区からも加わっていたことからわかるように、山間地で農業を営む全ての農家の願いで、この虫おくりも豊作を心から願い行っていたものだと考えられています。
熊野古道が世界遺産となった記念イベントとして復活した。この行事については先人が行っていた虫おくりを地元の小学生で行い、子供たちの「虫おくり殿のおん通りよい〜」の掛け声とともに千枚田の豊作を願うものです。
年々、人が増えて、一大イベントとして定着するかもしれませんね。